「無印良品」や「ユニクロ」で雑誌検索していたら、「下流社会」で有名な三浦展氏の「シンプル族の反乱」という本を見つけたので先月購入。
この本での「シンプル族」とは、あまり消費せず、今あるもの大切に長く使うような人たちを指します。ただ買わないというわけでなく、本当にいいものをこだわって厳選して手に入れ、無駄なものを家に置かないといった人々のようです。帯には勝間和代氏の言葉で、「この価値観を皆にも共感して欲しい」的なことが書いてあります。私も大体(全部ではないですが)共感します。
本の中で三浦氏はシンプル族は昔から存在しており、この不況下で目立つようになってきたと述べており、何も最近登場したわけではないとしています。なぜ、消費しなくなったのか、それはものに対する憧れというものが無くなったからだとしています。いまの世の中にはものがたくさん溢れています。「ALWAYS-三丁目の夕日-」という昭和30年代を舞台にした映画が話題になったことがありますが、あの映画の中である家にテレビがやって来て、町内の人がその家に集まってくるというシーンがありました。私の両親も当時家にテレビなんかなかったと語っています。しかし、いまやテレビなんて裕福な家でなくても、、中学生でも自分の部屋に一人一台持っていて、テレビどころかパソコン、オーディオ、冷蔵庫となんでも揃っているようです。ものがたくさんあるから、ものに対する憧れというのは無くなってしまいます。その結果、ものを消費しない「シンプル族」が生まれるのです。
せっかく大学で経済学を勉強している(ことになっている)ので、平均消費性向を使って考えてみます。平均消費性向とは、所得のうち消費に回すお金の割合のことです。平均消費性向は原点の角度で求めることができます。
縦軸に消費量、横軸に国民所得をとります。消費曲線とは私たちの消費の量を表しています。この曲線(今回は便宜的に直線ですが)がゼロから始まっていないのは、所得がゼロでも、借金をしてまで使う消費、つまり食品類など生きていくうえで必要最低限の基礎消費をするからです。
X1という適当な値をとって考えてみると、平均消費性向(所得に占める消費の割合)は原点からの角度の大きさが表しています。この図を高度成長以前の日本として考えてみます。
そして、今の日本のように経済成長して、国民所得が増えたらどうなるでしょうか。
所得がX1からX2に増えると、平均消費性向の大きさは小さくなるのです。
所得が増えれば増えるほど、消費のためのお金の割合が小さくなっていくのです。
日本は高度経済成長で、たくさん消費をすることによって戦後の廃墟から完全に立ち直りました。「三種の神器」や、「いつかはクラウン」という言葉は、ものに対する憧れから生まれ、たくさんの消費を生みました。しかし、ものが溢れるいま、「シンプル族」のように消費しない人々が増えているということは、もう日本の成長は止まってしまうのかもしれません。
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